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うつになってから回復するまで

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みなさん、こんにちは。今日はうつになった時の話しです。現在回復状態でその当時を振り返りながら綴りたいと思います。

鬱になっていたのは1年以上前で、回復して普通の活動に戻ったと実感できるまで6〜7ヶ月かかりました。

あまり記憶がない、というのが本当のところですが、つらかったという感覚はあります。辛かったことや症状は一時期残していたメモを見ながら書いています。

 

私のうつの原因は一つではなく複数の事象が長期間重なったからだと思っています。

うつを治すために通院、薬の服用、休職などを経て今の状態(回復)に至ります

「私が鬱になるなんて」という気持ちもあったし、「もしかしたら、あの時も鬱だったということかも・・」と過去の自分を振り返って気づくことがありました。

 

メンタルの問題は自分だけでは判断しづらかったり、状況が深刻だと自分自身が病んでしまっていることさえ気づくことができない場合があります。

 

疲れていたり、笑えなくなっていたり、疲れているのかもわからない時は一旦、人に相談したり、YouTubeなどでもいいので情報を調べることが大切かもしれません。

私は自分が「うつ」と分かっても分からない間も、その時間はとても辛くて苦しいものでした。

うつになってから回復するまで

鬱かもしれないと思ったのは、疲れやメンタルの不安定さがいつも以上に感じられた期間が長かったことがきっかけでした。

そして、ある時朝全く動けない、激しい胃痛という体への影響が出ました。

イライラが抑え切れなかったり、寝ても疲れが取れなかったりということが続いた時に「もしかして鬱かも?」と一瞬頭をよぎったことがありましたが、休めば回復するだろうとか気分転換が必要なんだと思って過ごしていました。

 

しかし、身体的な症状が出て「(よく分からないけど)何かやばい気がする」と自分で分かりました。

 

ストレスをうまく取り除くことができなくなり体を壊して休職、直後は日常生活もままならなくなりました。

 

そこから半年ほどかけて通院・薬の服用・休養を経て、日常生活を送れるようになったと自分でも感じます。

 

精神面の不調は目に見えないだけに自分でも回復しているのか分かりづらい、家族や周りの人との付き合い方、自分は今後どうなっていくのだろう...とあらゆる不安がありました。

休養しているとは言え、ずっととても苦しくて辛い時期でした。

 

うつを疑うようになった日常のできごと

・ずっと疲れている

・朝起きて疲れている

・イライラや不安が止まらない

・友達と会っても楽しくない、会った後に色々反省する

・人と会って家に帰ったらどっと疲れて動けなくなる

・食事に興味が湧かない

・ネガティブ思考が止まらない

・「やらなきゃ」という強迫観念に駆られている

 

など

 

例えば、生理前の不調が結構やばめの日がずっと続いているような毎日だった。

なんとなく自分で「何かまずいかも・・」と気がつくとさらに悪化していった。

 

何かおかしいと気付いてから起きてきた心身の影響でこれらは複数回、数週間続いた。

うまく言い表せないけど、ここに生きていないという感覚があった。

じっくり物事を考えたりできなくてふわ〜っとしている感じ。

 

さらに悪化した心身の影響

 

・人に全く会いたくない

ルーティンの仕事ができなくなりミス連続、いつもやっているはずの段取りがわからなくなる

・人に会った後、疲労と落ち込みで涙が止まらない

・仕事で作業をしていると涙が出てくる

・時間に遅れているのに急げない、気力がない

・休日の朝、目が覚めてからもベッドから起き上がれず14時まで動けない

・好きなスポーツの大事な試合を観る気力がなくなった

・身だしなみに気を遣えず、お風呂にも入れない

・全てを投げ出したくなり(仕事、家族、自分)、何もかも嫌になる

・死を選ぶことが頭をよぎる

 

これまでにも辛いなと思うこと、時期はあったけど、気分転換をすれば気持ちが切り替わったり回復することがほとんどだった。

また、自ら死を選ぶことを理解できないと思っていたが、ある時ふとその気持ちになったことがあり自分がこんなことを思うなんて、と驚いた。

 

うつかもと気付いて、休職する その後の症状とメンタル

 

かれこれ2週間くらい自分がおかしいと自分で思いつつもそのまま時間が経過していた。

うつという言葉が常に頭の中にあるものの「じゃあどうすればいいのかわからない」「このままではもっと悪くなるのではないか」という状態でいた。

 

すぐに病院に行けば?と普通なら思えるだけど、

物事を深く考えたり、順序立てて考えることができず、ずっとふわふわとしながら生きている感じで、「病院へいく」「誰かに相談する」という第一歩さえうまく決断できなかった。

少し信じたくない気持ちもあったからか、とりあえず情報を集めようと「うつ 症状」などでネットで検索をしたり、YouTubeで精神科医の方が動画を上げているものを見聞きして、該当項目が多いのを見て(もちろん全てが正しい情報ではなかったかもしれないが)「鬱かも」と思った。

 

ある朝、胃が痛すぎて目が覚めて、動けなかった。

 

動けないというのは、体が重すぎてうまく動かせない状態だった。

仕事に行く準備をしないといけないのにと思いながらも起き上がることさえできず、時間が経っても全く治らない。

 

仕事先へは休ませてもらうことを連絡した後、何時間も寝入った。

この時期はずっと眠くて、何時間眠ってもまた寝られた。(が、回復せず疲れていた)

 

翌日も激しい胃痛があり、近所の救急にかかるとすぐに状況を察してくれた看護師さんが奥の静かな場所に移動させてくれて点滴をしてくれた。

優しく対応してもらえたことと、夫に息子を任せているからとりあえず安心したことで、ここ数週間ではできなかったぐっすり寝た感覚を得た。(2時間程寝ていた )

 

鬱を引き起こした原因

自分で思う原因は複数ある。

・仕事

・ワンオペ(ほぼ10ヶ月間)

・夫婦関係

 

私は当時4歳の息子を週7でワンオペでお世話し、仕事(パートタイム)していたことと、土曜日も習い事の送迎、夫が全く不在状態だった。

当時夫は昇進をかけて超繁忙だったことで、家族の時間もままならない状態で1年間を過ごしていた。

夫が早朝も深夜も日によって不在、週末も急に出社することがあり、休日の予定を立てるのは不可能、会話する時間もなかった。

 

小さいけど、慢性的な問題がずっと続いていた時期でもあった。

 

・滞在許可の更新が一年近くかかっていつ貰えるか分からず、かなりストレスだった

・借りているアパルトマンを大家の都合で突然追い出されることになり、物件探し⇨引っ越しがとにかく大変だった

 

常に不満が募っていたし、夫婦の関係はかなりギクシャクしていた

息抜きをしたくても私の自由時間さえ確保できず、友人との食事も確保するためには夫との都合がつけば、という状態だった。

平日は仕事があるし、夜も夫がいつ帰宅するか分からない、約束があるのに帰ってこないなど。私の予定を自分でコントロールできないのが辛かった。

 

一旦、色々忘れてバカンスに出かけたり週末旅行へ行ったが、夫は上の空、私も疲れに行っただけで何も楽しめなかった。

旅行の帰りは絶望みたいな感じになっていた。

夫こそ鬱になるのではと思うがかなりストレスを抱えていたけど、必死だったし目標が明確だったからできたのだと思う。共倒れしなくて本当によかった・・・。

 

私の当時の仕事はブラック企業でw上司と全く良好な関係を築けず、仕事内容も私の経験を活かすポジションから外され、壁に向かって一人で作業する毎日を送っていた。いつか病むわwと冗談で思っていたが、本当に病んでしまったw

 

複合的な理由が重なって、病んでしまうと人に頼ることもどんどん下手になっていた

「私が一人で全てやらないといけない」と思い込んでいたし、実際にずっと繁忙期だった夫には頼れる状態ではなかった。

ちょっとした愚痴など話を聞いてくれる人もいなかった。実際は友人もいるのに、うまく頼れなかった。

 

夫も超ストレスフルで口をひらけば喧嘩する状況だった。

お互いが常に不満を持っていて時々爆発するというだけ、お互い「こっちだって頑張っている」と思っていたし、ポジティブな関係性ではなかった。

 

普段息子を義両親に預けることがあったし、義両親も定期的に預かりたがっていたが、この時期にたまたま長期でフランス国外で2ヶ月以上滞在していた。

 

また、フランスへ戻った後も夫のお婆さんの危篤で義両親はそちらへ長期滞在するというイレギュラーの不在が長かった。

 

物理的に本当に頼れる人がいなくて、そのうちに人に助けを求めるという判断力も私は失っていた。

親しくしてくれる友人やママ友もいるのに、みんなはもっと忙しいとかうちは子供一人だし(ママ友は複数子供がいる、ほぼフルタイム勤務)など比べて、私なんて・・・と自信を失っていた。

 

日本人心理カウンセラーのアポ、通院、薬の服用

胃痛で救急に行った後、「救急だから詳しい判断はしないけど」と前置きはされつつも、1週間の休職(AM)と精神安定剤を処方された。

 

担当してくれた看護師さんがテキパキしていて他の患者さんをひたすら捌くように対処する厳しそうな印象だったが、相当私が参っていてぼーっとしているのを見て、めちゃくちゃ優しく対応してくれていた。

 

もうそれで涙が出るくらい、ずっと張り詰めていた状態から解放された気がした。

とにかく気持ちが一杯一杯になっていた。

しかし、これから精神科にかかるのか・・(しかもフランスで?)と色々調べるも、よく分からなすぎるし怖かった。

 

日本人心理カウンセラー(PSY プシコローグ)のアポを取る

この当時からさらに2年ほど前に(息子2歳)私は育児ノイローゼ気味で、心理カウンセラーに連絡をしたが、とにかくその人と合わなくて辛い気持ちがさらに増した経験があった。

 

カウンセラーはフランス人で、私にとって心のモヤモヤした胸の内をフランス語で話すのが予想以上にハードルが高かったこととカウンセラーのフランス人女性が全然好きになれない感じだったw

次にもしカウンセラーを頼るときは日本人を探そうと思っていた。

すがる思いで、ある日本人のカウンセラーの方に連絡をするとすぐに予約を取ることができた。

 

体調がおかしくなってきてから全てにモチベーションが下がったり、うまく行動できないことがあったが「ここでやらないと、死ぬかも...」くらいに思っていたことが原動力になって、すぐ行動できた。

(のちに担当して頂いたカウンセラーの方は私のギリギリの精神状態と正反対の行動力に?結構驚いていた)

 

が、案の定、初めての面談の日にもかかわらずうまく行動できず遅刻する、携帯の充電もできていなくて連絡も入れられない、そんな自分がまた嫌になった。

 

自分のことを説明しようにも辿々しくなるし、うまく答えられない・伝えられない状態だったが、日本語で話を聞いてもらえる有り難さは感じていた。

毎月1度予約を取ってもらい、話を聞いてもらった。

ビデオ通話もできるということだったが、家からある程度出ないともっと動けなくなる気がして、毎回キャビネまで足を運んだ。場所はパリのマレ辺り。

 

▶︎カウンセリングとはどんなものなのか。想像と違ったことなども

www.parisimpleco.life

 

カウンセラーと一般医に通う

カウンセラー(Psychologue)は医者ではないということで、一般医(generalist)にもかかっていた。薬の処方と休職のための書類を作成してもらっていた。

 

精神的な問題といったら、精神科医(Psychiatre)が思い浮かぶが、何となく抵抗もあった。私の場合は結局精神科医には行かなかった。

 

一般医にとりあえずかかって、胃痛の薬や精神面の不安があることを話した。

プシにも近々予約があることを伝えると「精神科は良くない、日本人のプシのところへまず行けばいい。薬と休職の書類はこちらで出せるから」と言ってくれた。

 

初めの頃はその医師もめちゃくちゃ親身になって聞いてくれたり、元気づけようとまでしていた。

何度も通ううちに私は多分「仕事をサボって書類作成したいだけの人」に思われていたし、私の症状がどうということより、診療中に他の電話をしながら対応されて面倒臭そうな態度を取られていたし、話をも聞いてくれなくなってしまったことで私も不信感が出た。(自分のキャビネの引越し手続きがうまく進まずセキュと永遠にやりとりしてた、後でやれw)

 

私はずっとその医者の態度がやだなと思いつつも、良し悪しの判断能力がなかった気がする。

人の言動には繊細になっていて、あらゆる出来事に対して【自分のせいでないことにも傷ついたり、落ち込んだりした。】

 

薬を処方してもらっていて効いているかよく分かっていなかったが、とにかく早くこの状況から脱したい思いで服用していた。

 

その後、症状が良くなってきてから判断力も戻ってきて?この人ダメだ、と思いw他の医師のところを訪ねた。

 

次の医師はとにかくテキパキ冷静に対応してくれて、「うつ病の診断テストはやったか?」と聞いてきた。

「普通それをやってから(鬱だと)診断すると思うけど?」と言われた。

最初の医者はなにも言っていなかったので私は知るはずもなかった。

 

そういえば、カウンセラーの先生もテストがあると言っていたことをなんとなく思い出す。

テストをやることで、セキュリテソーシャルに情報を保存しておくこともできるし、テスト結果をたとえばかかりつけ医に持っていけば適切な薬を出してもらうことができる。テストはフランス語のみでワードが難しいことも多かった。

 

心理カウンセラーは医者ではないから、直接薬を処方したり、休職の書類を出せるわけではないが、書類作成は一度相談してみると良いかも。

私は本当に勝手が分からずにいたから、必要な方に届くと良いなぁ。

そもそもうつ状態なのに色々調べたり、積極的に質問したりできる精神ではない。

 

鬱になり休養と治療を始めたらどうなるのか

休職して2週間ほど経過したら、ずっと重くだるかった体が疲れが取れたように少し軽くなっていたことを実感してきた。

 

が、メンタルはかなり波があった。

止むを得ず人と関わらないといけない場面に全エネルギーを使ってしまうので終わった後は涙が止まらなくなったりものすごい疲労が出た。

 

休養と言っても仕事をしなくなっただけで全ての家事、育児は相変わらず私がやるしかなく、夫はさすがに何度かは子供の送迎を代わってくれたり、食事を作ってくれることもあったが、子供がいるし、当然休養だけをする生活なんて無理だった。

 

なんなら当時クリスマス前の時期で、全て投げ出したいと思っているのに義家族のクリスマスプレゼントを用意しないといけないなんて???と思った。

 

毎年私が手配しているが半分は夫に無理やりやってもらった。(ていうかお前の親だろ?w)

休養して1週間ほどで胃痛は治ったが気分が落ち込むと、また再発することがあった。それ以外の精神的な不調や症状はその後2~3ヶ月は常にあった。

 

【集中力散漫、気分転換できない】

・集中力が全くなく、ぼーっとしてしまうので動画や映画などを見ようとしても内容が入ってこない気分転換にならない

・色々やってみてもうまく段取りできなかったり、集中できず結局楽しめない。

・人のプレゼントを買わないといけなかったが、判断力がなくなっていて3時間いろいろなお店をうろうろしても決められなかった

 

⇨休職してから1ヶ月後くらいで外出をやっと「息抜きできた」と思えた

 

【イライラ、体が動かない】

・会社は休めても子育て・家事は休むことができない。

・息子にはかなりイラついたり爆発することも多くて、かなり自己嫌悪に陥っていた。

・体がだるくて起きられない、うまく寝られないけど子供の世話を代わってくれる人がおらず苦しかった。

夫は私が休職している状態でも自分の生活リズムを変えることはなく、私は仕事には行かなくなったが家事育児のワンオペ状態は変わらなかった。

 

⇨義両親に少し息子を預けた際に「息子は安全に楽しく過ごせる」と思えた。

一人の時間がやっとできたが、疲労しすぎていてソファから全く動けなかった

 

【人生最大の肌荒れ】

睡眠リズムの乱れ、精神面の問題、不規則な生活などにより人生で見たことがないほど肌が荒れた

それを見てまた悲しい気持ちになる。鼻と口の下に大量のニキビができ、口の周りと首がザラザラになった・・・

ほとんど身だしなみを気にできなかったので、ふと気がつくと見たことない黒い目のクマができていた。

 

【あらゆる不安】

職場や周囲の人への不安

・仕事を休んだことで「他の人への迷惑」「忙しいだろうな...」など

・家族はどう思っているだろう?(夫以外には義両親にも鬱であると言わなかった)

 

仕事がなくなる、経済面の不安

・長期間休んでいることでこの先どうすればいいのか...仕事はどうなる、経済面にも不安が絶えず出る。

 

先が見えない

・いつになったらうつが回復するのか?回復してもまたすぐに再発するのでは?

 

感情の波

・休職してだんだんと気持ちが落ち着く瞬間も出てきたが、一度ちょっとしたことで落ち込むと死まで考えてしまう

・子供や夫と離れた方が良い、一人になった方が良いと考える

・人に会いたくない

 

うつの二次的な影響

かかっていた医者が途中から全く対応してくれなかったことで、自分が回復してきているのかよく分からなかった。

 

のちに別の医者にかかったらすぐに「うつのテスト」をしてくれて「これをやっていないなんてあり得ない」と言っていた。

テストの頃にはほとんど心配のない状態だと診断された。

 

たまに調子がいいと思うと一つの小さな出来事でまたどん底になるという波をずっと繰り返していたから誰かにバシッと「あなたは鬱です」と判断して欲しかった。

 

カウンセラー(プシコローグ)は優しいがとにかく話を聞くスタンスだった。

自分の言動に自信がなくて、誰かに導いてほしかった。

 

休職と薬の服用を始めて1ヶ月するとたまに冗談で笑えたり、外出を楽しめるようにはなってきたが、やはり「うまく行動できない」ことがずっと続いた。

人と会うことが楽しめなかったり、朝起きられない、いざアクティブに行動してもミスや失敗が多かった。

 

・衝動買い、無駄な買い物

・言葉がうまく出てこない、話がまとまらない

・一つのことを始めると永遠に終わらない(返信に何時間も考えてしまう、調べ物が終わらない、何時間も youTubeを見て止められない)

・お腹は空くけど、美味しく食べられない

・清潔に保てない(入浴、歯磨き、身だしなみ)

・人に話を聞いて欲しい気持ちが止まらない

・少量だが常にお酒を飲んでいる

 

⇨時間の経過ともに冷静さを取り戻せたり、身だしなみにも気を使えるようになってきた。美容室へ行って、気分が良くなるなど。

 

これらの二次的な影響は休職から2ヶ月くらい経過した頃。

行動も少しずつアクティブになってきたが、一つ落ち込むことがあると、またどん底へ行った気分になるのを繰り返していた。

 

休養中にやってはいけないこと、実際はどう過ごしていたか

色々調べていると、鬱で休職などをしていると時間ができて「早く回復しないと」と焦ることがあって衝動的に行動して失敗することがあるあるらしい

 

大きな買い物、今の仕事を辞めること、新しい職を探して応募する、資格を取るなど何かやらなきゃと行動しがちだが、当然判断能力や集中力がなくてうまくいかない。

私もまさに同じようなことをやろうとしていたが本当にうまく行動できなかった。

 

掃除や模様替えなどをやるか、落ち込んで行動できない日はひたすら床に寝転がって太陽を浴びていた...(!!!)

あとは占いを見まくったり(普段はほとんど見ない)、出かけられる時は散歩した。

軽い運動をすると回復を助けるようなのだが、元々運動習慣がなかったからなのか、私はほとんどできなかった。

 

やっと心が動いた日

休職してからしばらく経過して、ふとパリでシャネルのエクスポジションがあることを知り、勢いで一人で行った。

 

ずっと感情を失っていたような感覚だった何ヶ月間の間で、一番心が動いた日でとても充実した時間を過ごせたなぁと思った日だった。

シャネルだったからなのか、非日常的な空間にいられたからなのか、いづれにしても楽しめたことが嬉しかった。

と言っても翌日は沈んだり、良い日と絶不調をひたすら繰り返して、時間の経過と共にだんだん日常に戻った感覚がある。

 

鬱からの回復を実感できたこと・時期

鬱になってから感情の波に振り回されることが続いて、自分が怖かった

妊娠時期のそれに似た感じだったが、落ち込んだ後の回復にはうつの場合は時間がかかったし終わりが見えない感じもあった。

 

自分を自分でコントロールできていなかったため休んでいても「良くなっているのか?」ずっとよく分からなかった。

しかし3~4ヶ月が経過すると、ポジティブな行動ができるようになってきたり自分自身のケアにも気を使えるようになってきた感覚はありました。

 

・判断力が回復してきたと感じる

・気分が良くなり、安定が続いている期間がある

・肌荒れがなくなってきて、ケアを意識できるようになる

・人に会いたい、話したいと思えてくる

・笑える

・寝られる

 

鬱で休んでいると自分だけが取り残されている気持ちになるし、夫や周りの人は働いているのに自分は何もしていない...という気持ちになりました。

 

周りの人からの何気ない一言にも深く傷つくし、理解して欲しいけど、自分でもどうしたいかさえよくわかっていないなどとても繊細で複雑な状態だったと思います。

 

家族や周りの人はかなり付き合い方が難しいですが、周囲の人は出来るだけ何かを判断させたり期限を作ったりしない方がうつと戦っている人にとってはありがたいのではないかなと思います。

 

仕事いつから行くの?

いつまで休職するの?

今日は何してたの? など

こういった質問は何の意地悪な意図がなくても、うまく答えられません。

気にかけてくれるのはありがたいけど、自分でも分からないし、それらの質問がまた苦しめることになっていた気がします。

 

少しでも参考になれば幸いです。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

▶︎ヨーロッパの冬は「季節性うつ」になりやすい。あらかじめ対策しておくことで防げる可能性が高いです

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